2024/05/19

【石川県】#志賀町 #災害ボランティア

 
今回は志賀町でのお手伝いでした。石川県(社協)を通しての募集で、バスで現地入りするのではなく、現地集合での募集でした。

 
志賀町の最大震度は7です。ただ、震度7というのは局地的なものだと思います。私が眺めた限り全体的には珠洲や輪島ほどではない印象でした。(やはり奥能登の方が被害が大きいうえに復旧が後手になっているので深刻だと思います。)
 
 
お手伝いしたのは志賀町北方の富来地区笹波という地区のお宅でした。棚田と漁港を併せ持つ集落です。非常に狭い路地を4台の軽トラで入って、災害ゴミである破損家具を運び出しました。中能登町でお手伝いしたお宅と同じく、ご高齢の女性の一人暮らしでした。9人が派遣されただけあり、かなりの分量でした。事前調査で把握されていたニーズが、実際にお話を伺いと違っておりました。リーダーが間に入って交渉し、引き取れる範囲で引き取りました。引き取れないものは玄関に運び、シルバー人材センターや近隣の人が運んだようです。災害ゴミの仮置場に1往復して終了しました。まだ積み残しはありましたが、明日以降の参加者に引き継ぎました。
 
志賀町のボランティアセンターは富来地区に移転するとのことです。富来は志賀町の中心地から車で30分ほどかかります。いわき市における勿来地区のような感じです。災害支援拠点から遠いと、ニーズ把握や支援活動が遅れます。移動に時間がかかるからです。(今回のお宅も、中心から近ければ、2往復して当日中に終了できたかもしれません。)富来地区が後回しになっているのだと思います。だから効率を考え、富来地区に拠点を移すのでしょう。
行政区の合併が続きますが、それは防災拠点の減少を意味します。石巻市の旧雄勝町、いわき市の旧勿来町と同じく、志賀町の旧富来町も、合併がなければ復旧復興の速度が違っていたかもしれません。合併が避けられないなら、同時に地域防災についてフォローしておかないと、取り返しのつかない悲劇を生んでしまうことになるかもしれませんね。
 
翌日は能登島を一周しました。ここも七尾市の旧能登島町だったようです。橋が2つありますが、1つはまだ使えません。いま使用できる橋も、風速20m以上で通行止めになるとのことです。災害派遣・ボランティアの車両にも出会いましたが、強風の日は派遣できないのでしょうね。孤立した場合に備えて、島内にしっかりした防災拠点が必要だと思います。
 
ちなみに能登島は本当に美しい島でした。七尾湾には野生のイルカが生息しており、イルカウォッチもできるそうです。今度は観光で行ってみたいです。能登の災害ボランティア参加は、今回で終了(のつもり)です。機会があればまたなんらかのかたちでお手伝いしたいと思います。

2024/05/06

日本国憲法改正案

 私は改憲派です。以下がその具体案です。

  1. 集団的自衛権放棄の明文化。
  2. 7条衆院解散要件の具体的記述。
  3. 国民による閣僚の直接罷免権の保障。

2024/03/31

【石川県】#七尾市 #災害ボランティア

今回は七尾市でのお手伝いと、珠洲市街・輪島市街を視察しました。

まず七尾市。前回お手伝いした中能登が100軒に1〜2軒の全壊なら、七尾は100軒に5〜10軒くらいの全壊という感じです。私は仮置場での仕分け運搬および人員送迎の役割だったので、今回は被災者の話は聴けませんでした。しかし、次々に運び込まれる「災害ゴミ」の量から、中能登とは比較にならない被害であったろうことは、察しがつきました。コンビニなどはトイレも使えましたが、ボラセンのある公共施設は仮設トイレ使用でした。
 
災害ゴミの仮仮置場(七尾市)

2024/03/12

【石川県】#災害ボランティア の活用(#令和6年能登半島地震)

災害ボランティア活動は登録制ではなく、自己完結を前提とした自由参加が良いと思います。小千谷(2004)、刈羽(2008)、勿来(2011)、すべて登録制ではなく、自主参加でした。みんな勝手にボラセンに集まり、自ら手をあげて活動したのです。

自分が必要なのか不要なのか、役に立つか立たないかは、行ってからわかること。不要とわかれば大丈夫だと帰ればいいです。
 
子どもの災害ボランティアも、足手纏いにはなりません。写真の帽子を被った子は手前の背を向けた子どもと遊んであげていたのです。大人が片付けをしている間、被災者の子どもたちの相手をする。これも被災地復旧への立派な貢献活動になります。

 
できない・やらない理由を考えるより、まずは現場に行きましょう。そして、自分やそこにいる人たちができることを探しましょう。行政には、災害ボランティアの活用に全力を注いでいただきたいと思います。
 

2024/03/10

山下祐介×宮台真司×迫田朋子:被災者を置き去りにした「復興災害」を繰り返さないために【ダイジェスト】

その地域に生きてきた人の意思を無視して、外部の人が「創造的」に被災地を復興させたところで、棄民政策にしかならないということです。能登地震でもまた同じ事を繰り返すと思います。

 
山下祐介「(震災被害を)元に戻すと言えば皆安心するし、元に戻せば人は戻って来る。」