収容所跡のあるオラニエンブルクは、ベルリンの郊外(北方)にある街で、記憶ではベルリン動物園駅あたりからレギオナル・バーンで30分くらいだったと思う。私が訪れたのは1999年の2月26日頃だ。
(働けば自由になる。)、人を吊るして殴るための柱。この他にフックがつけられた柱が3つ4つ並んでいた。絞首刑用途だった模様。その下には花束が置かれていた。蚕棚のような木枠にワラを敷き詰めた多段ベッド、シャワー室(ガス室?)、解剖実験室など。広島の原爆記念館もすごいけど、おそらく「殺人工程の現場」という生々しさでこちらの方が上だったと思う。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiNyrVeV9-E9iCwkWcficfnYfL_4-yMjac8r3ASX3NUALPqPgpgma4v2WEnjG7e_BmpWwyFEvd5L6_wiY8PAMQo3p2_vVVHxpFZTsRHvGEASS_08DN0LRMzAyPx9xfpthgDydmmO1RzZLVH/s320/Sachsenhausen-poles.png)
ところでベルリン市内には「追悼所」が至るところにあり、大抵は花束が置かれている。みなさん、ベルリンへ訪れたならぜひ「追悼所」へ行ってみると良い。ほとんど入場無料だ。
冷たい床に手を当てれば…、ほら。犠牲者たるユダヤ人その他政治的マイノリティだった者たちの、生への絶望と悲しみ、叫びが、あなたの心を根底から揺さぶることだろう。
戦後の安全保障体制とは、このような悲劇を二度と繰り返させないためにある。平和の敵は国外ではなくむしろ国内にいた。少なくともドイツは。日本も似たようなものである。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。