2020/08/23

虐待サバイバーは言葉の奴隷


たとえば「愛している」という言葉があるとして、それは単なる言葉である。行為や振る舞いはその外側にある。人間同士の関係性の本質はこちらであって、言葉そのものは本質となる行為や振る舞いの記銘である。「言葉の外」とは本質である行為や振る舞いを指す。
 
言葉は強い。遠大で明確に定義しづらいほど、行為や振る舞いの本質を覆い隠す呪文となる。「愛する」という言葉は、支配であってもそれを覆い隠す。「助ける」という言葉は、その人の成長の機会を奪う干渉であってもそれを覆い隠す。「しつける」という言葉は、暴力であってもそれを覆い隠す。
 
定義者が親であった場合、子どもはその定義づけされた言葉の強大さに呑み込まれて抗う力を失う。親は子どもに「親の愛」や「しつけ」といった言葉で呪いをかける。言葉に呑みこまれた子どもは、自分が抗っていると思っていても、実際には親の掌の中で踊っているに過ぎない。
 
虐待サバイバーは「言葉の奴隷」だ。安心や安全とは本質のかけ離れた「愛」「しつけ」という言葉の坩堝(るつぼ)に呑みこまれて、身動きできなくなった奴隷である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。