河村たかし の言う通り、表現の自由 はなんでも許されているわけではない。しかし、それは国民同士の権利が衝突した場合に調整する機能 「公共の福祉」に反する場合に限られる。公権力と国民の表現の自由の力関係は、いついかなるときも、
表現の自由 > 公権力
でしかない。
公権力は表現の自由を侵してはならない。なぜか?歴史的にはそれが繰り返されて多くの血と涙が流されたから。論理的には、国民主権を守るため。現実的には、権力者が自分の気に入らない表現をつぶすようなことをさせないため。(いままさに河村と吉村、松井のやってることがそれだ。)
見たくない人たち、嫌いな人たちの権利もあるという主張があるのは事実だ。これこそ、公共の福祉をどうする運用するかの問題である。この権利の衝突は、ゾーニングで解決される。要するに、見たくない人たちの見えないところでやるから放っておいてやってくれということ。もちろん抗議は自由だ。
https://aichitriennale.jp/artist/after-freedom-of-expression.html
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