2021/02/17

学校は「兵」と「産む機械」の製造工場

■ハフィントンポスト日本

安冨歩さんが話していたことですが、天皇のための国家、国家のための軍隊、軍隊のための軍人、軍人のための養成機関、それがすなわち学校です。その意味からすると、学校では画一化が求められます。国家護持に適した者とは、従順で権力者にとって扱いやすく取り替え可能な者、すなわち「従順なバカ」のことです。男子は兵として、また女子は「産む機械」として、取り替え可能な消耗品でなくてはなりません。使えなくなったら交代させるため、同じ品質を持った部品が必要です。ですから、規格に合わない者は、修正するか、検品で落とすか、となります。
 
現在の学校にも、その思想が息づいています。生まれ持った髪の色を強制させたり、強制させずとも証明書まで出させたり、下着の色を検査する、持ち物検査、「体罰」と称する暴力、減点方式の考査、集団行動・隊列行進などのマスゲーム教育、スポーツ教育と称した兵または産む機械としての適正を見る体力考査、起業教育をしない、などなど・・・。どれだけ子どもの心を傷つけているでしょう。
 
学校は子どもを行かせて良い場所ではありません。
 
子どもは我々の未来の作り手です。学校至上主義を脱しなければ、我々に未来はないと思います。

 

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